欧米への伝播
麻雀はこれまでに述べているように19世紀後半になって誕生したゲームであるが、この頃、中国に進出していた欧米各国は治外法権の植民地を中国各地に確保していた。もっとも有名なのが上海の植民地である。20世紀になると上海のイギリス領土の中で新しいゲーム=麻雀が大流行した。この流行は点棒の登場をもたらし、さらに麻雀が世界中に広まるきっかけとなった。

ヨーロッパへは東インド会社のインド・ヨーロッパ航路によってイギリスを通して伝播した。1920年代にはヨーロッパ全域に広がり、主として上流階級の社交ゲームとして遊ばれるようになった。

米国へは上海から太平洋を渡る航路を通して伝播した。長い船旅の暇つぶしのために麻雀が好んで遊ばれたのは容易に想像がつく。欧米人の多い船上では役名など用語はすべて英語で呼称していたという(すなわちピンフは ALL CHOW、対々和は ALL PUNG、清一色が SAME COLORなど)。ちなみに日本郵船(株)でも英文で解説したパンフレットなどを備えて客に提供していた。
こうしてアメリカへ伝播した麻雀は格好の社交ゲームとして瞬く間に全米・カナダに流行し、多くの解説書が出版された。あまりに人々が熱中したために麻雀牌の供給が追いつかなくなり、輸入牌の他に米国独自の麻雀牌も作られるようになったという。

アメリカ合衆国の麻雀
欧米に伝播した麻雀は、流行し遊ばれているうちに日本と同様に独自の変化をとげる。当初は中国式ルールで遊ばれていたものが、面倒なものは淘汰され、次第に各国独自のルールに変わっていった。アメリカでは1920年代初期にすでに独自ルールが登場している。
以下にアメリカのルールを紹介する

◆役は非常に多く、アメリカ独自のもので、連盟によって毎年改訂されている。
◆花牌やジョーカー牌を含み多くの牌を使用する。従って槓(KONG)の上に同一牌5枚(QUINT)組というものがある
◆ゲーム開始に先立ってチャールストンと呼ばれる不要牌の交換が行われる。

配牌の取り方までは日本や中国と同様である。取り終わると、各自が不要牌を3枚選び下家に渡し上家から受け取る。次に同様にして上家、対面と受け渡しをする。うまくいけば最大で9枚の有効牌と取り替えることが可能である。この作業をチャールストンと称し、トランプゲームの大貧民からヒントを得たと思われる。こうして親から順に摸打することになるが、目指す上がり役はアメリカ独自のものである。

2468という役 花花花 22 44 666 8888という構成
singles & pairsという役 北北 11 33 55 77 99 南南という構成

ルールには順子は無く、対子や刻子などから構成される役が多い。これはもはや麻雀とはいえない。
こうした役で誰かが上がると支払いは次のようになる。
 栄和(ロン)の場合、放銃者が基本点数の2倍を支払い、他の2人が基本点数をそれぞれ支払う。
 模和(ツモ)の場合、他の3人がそれぞれ基本点数の2倍を支払う。

以上のようにアメリカの麻雀は日本麻雀とはまったく別のゲームである。対子や刻子などから構成される役が多いならポンジャンやドンジャラと同じである。 inserted by FC2 system